お久しぶりです。
えへ。
交互に書いてきたこのブログ。
とうとう私が重ねての投稿です。
うん、いずれこうなるの知ってた。
何故なら、橙子ちゃんを追い詰めている自分をちゃんと知っていたのに目をそらし続けていたから。
でもこの子なら、なんて無責任に甘えていた。
今も甘えている。もう彼女の心は離れていると理解しなければならないのに。
離れられない。縋っている。縋りついてしがみついている。
いや、離れようよ。
そう思った人は私含めてさて何名。
さてさて、そんな戀香さんですが、入院してました。
三日。
小旅行か。
いや、入院したのは同じ病院で同じ病棟だったけど無理だった。
何あの空間。クリーンな空気とどっろどろの人間関係が緩やかに私を殺していく感覚。
そして制限される煙草。
今時は普通なのかもしれませんが、煙草が一日六回、一回につき三十分ってどうなの。
そりゃ一気に吸うわ。
外泊を申し出て、何とか承認してもらってそれから帰る気ゼロ。
お家で快適に煙草をぷかぷかしてました。
後日、診察で医師にも担当の看護師さんにも謝りました。
先生は兎も角、看護師さんは泣いていたらしいです。
看護師さんは新人さんで初めての担当だったとのこと。
ふとね、たまに昔のことについて考えたりするんだ。
たまたま、虐待について調べてたら虐待にも種類があるんですね。
知的いじめ、虐待:
馬鹿だとか、お前なんかに絶対にできるはずがないなどと言うこと
子どもが自分で考える力を応援したり、育てるサポートをしないこと
精神的いじめ、虐待:
親が言うことが絶対に正しいというような頑なな態度で子どもに接すること
子どもは自分の欲求や望みを持つことが許されないのだと思うようになるし、 親が何を望んでいるかを最優先で考えるようになる。
宗教や社会的権威に対する依存:
宗教や先生等の権威者を使って子どもを脅したりコントロールすることで、子どもに選択肢がないと思わせること
これは「神」や権威者に対する疑いや恐怖を植えつけることになる。
家庭内の環境:
家庭内に全く融通の利かない規則がある(暗黙の場合が多い)、少ししか、もしくは全くコミュニケーションがない、高い緊張感、口論、無言による非難、「感じるな、話すな、信じるな」というメッセージが家庭に浸透している
うん、全部当てはまってた。
今更「虐待を受けてました」なんていう気はないですよ。
ただ、納得したというか。
母が熱心な宗教信仰者でね。
私が生まれたのは貴方の意志よ、とか言ってくるのね。
知らんやん。貴方がぽこんと生んだんでしょうがって話なんですけれども。
で、我が家結構人には面倒で話さないのですが父がバツイチなんですね。
だから母とは再婚で、私には義理の姉がいるそうな。
これね、高校生になって知った。
なんて時期に教えるんだ。親よ。
まあ兄貴がだいぶやんちゃをしていて、それに毎晩泣いている母親を見て「私はああなっちゃいけない」と思って反抗期らしい反抗期なんてなかったのですけど。
そんな再婚した父ですが、母とも離婚。私が中学生の時かな。
まぁ、小学低学年の段階で「この二人はいつか離婚する」なんて思ってましたけれども。
だから今更でした。
でもね、それも長くは続かなかった。
そのころ、携帯がようやく流行りだした頃でしたので兄は購入していたんですね、携帯。
その支払いが母では出来なくて。
離婚でもらった慰謝料もあっという間にあぶく銭として消えました。
そして母がした決断。
父のもとへ戻っていきました。
私に相談もないままに。
私がその話を聞いたのは引っ越す日当日でした。
勿論私は拒否しましたが、なにせお金がなかったですから。
私の反対なんて聞いている猶予もなかった。
そして父と再び再婚。
兄貴はその頃、毎晩女の家に転がり込んではたまにふらりと帰ってきて私を殴って蹴ってすっきりしてからまた出掛けていました。
手には母のお金。
このころメンヘラが爆発したのですよね。懐かしいけど思い出しても得ないなぁ。
印象的だったのは高校の先生に「目が死んでるよ」と言われたことですかね。
学校は楽しかったけど、いじめがひどくてね。
私は子供のころから人の真似しかできないの。
なんというか、自分の「オリジナル」がないんです。
最近医師に言われたのですけど、どうやら私は軽度の発達障害と自閉症の気があるらしく。
これは未だに親には話せてないです。
話す気もないです。
これ以上失望させるわけにはいかないから。
でも父の余命がもうないのですよね。
一年以内。
父にだけは話さなければなぁと思いますが、なかなか。
ようやく退院したばかりですしね。父。
「オリジナル」が存在しない私は人を不快な思いにさせる天才でね。
どんどん離れていく人。
高校の時、研修という名の旅行がありまして。
出来たばかりの仲のいいグループで班になったのですけど。
私はうまくいってると思ったけど、そうじゃなかった。
リーダーの子は言いました。
「私今からあいつ(私)、シカトするから。」
これね、死刑の決定です。あぼーん。
それが夕食前のことでさ勿論班の人たちは私を隣に座らせるわけもなく。
全く知らない人の隣に座って少し食べて部屋に戻ってから泣いた。泣いた。めっちゃ泣いた。
そのあとの記憶はないです。
これが人生初の乖離。
多分、私の時間はその時から動いていないんだと思う。
何をしても何を感じても。
「あの日の私」は死んでるからね。
ああ、くだらないのに長くなっちゃった。
次の更新も多分こんな感じだと思います。
あ、これメンヘラブログだった。
じゃあ良いか。
あでゅー。